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元ニート・ゆうたろの経歴

1983年、東北の田舎町で2人兄妹の長男として生まれました。

びびりな性格ではあるものの、小学校と中学校は比較的、他の人と同じような感じで過ごしていました。

10代後半(1回目のニート期間突入)

地元の公立高校に入学したものの、5月頃から体調に異変を感じ始め、パニック障害を発症してしまいます。

その後、うつ病も併発。

保健室登校などをしながら、何とか高校生活を続けようとしたものの、まともに授業に出られず単位も取れなかったため、中退しました。

中退後は通信制高校に編入しましたが、パニック障害の影響が大きく、2~3年程度は自宅で過ごすことが多かったです。

つまり、ニート期間に突入します。涙

20代前半

20歳前後から徐々に体調が落ち着き、通信制高校に通えるようになりました。

少しずつ単位も取れるようになり、時間はかかったものの、24歳でようやく高校を卒業します。

卒業後は、以前から興味のあった建築を勉強するために、専門学校へ進学しました。

しかし、パニック障害がぶり返してしまい、ほとんど通えずに休学することになります。

このとき、専門学校で教えていた講師の方が声をかけてくださり、ご厚意でその方が社長を務めるデザイン会社で研修生として勉強させてもらえることになりました。

最初は体調が不安定だったため、勤務日は週2日程度から始めさせてもらい、様子を見ながら段階的に増やせるよう調整させてもらっていました。

20代後半(2回目のニート期間突入)

デザイン会社で研修生を続けさせてもらっていたものの、再び体調を崩すことが増えていきました。

そうこうしているうちに出勤できなくなり、2回目のニート期間に突入してしまいます。

10代の頃から精神科や心療内科に通院して治療は受けていたものの、このときはうつ病の影響が大きかったように思います。

30代

ニートとして過ごしている中で、ある方から「一緒に農業(田んぼ)をやらないか?」と声をかけられます。

この方は、デザイン会社でお世話になった先輩で、私と地元が同でした。

実家が農家だったため、デザイン会社は辞めてフリーのデザイナー&農業をやるつもりだったようです。

そして私は「せっかくだから、やってみようかな」と思い、一緒に農業をやらせてもらうことにしました。

このときも体調にはだいぶ不安があったため、半日から始めさせてもらい、作業時間は少しずつ増やせるようにお願いしていました。

その後、太陽のもとで汗を流して作業することが良かったのか、体調は徐々に落ち着き、1日作業しても問題ないまでになりました。

ただ、農業(田んぼ)は冬になるとやることがないため、その間に自宅でできる仕事はないかと探した結果、Webライターという仕事を見つけます。

それからは「農業&Webライター」の二足のわらじを履くことになります。

40代

Webライターの仕事が軌道に乗り始めたことで、かなり忙しくなってきました。

農業とWebライターを一緒にやるのは難しいと判断し、専業Webライターになることを決意します。

現在は専業Webライターとして、主にSEO記事の制作を請け負っており、依頼してくださるクライアント様に貢献できるよう努めています。

サイトの目的

ニートから一歩を踏み出すとき、情報の多さや周囲の声に圧倒されて動けなくなることがあります。

また、ニートでいることは、世間に対して非常に引け目を感じやすい状態です。

このサイトは、そうしたときの不安を少しでも和らげ、現実的な社会復帰の方法を見つける手助けとなることを目的としています。

特に「派遣社員として働く」など、無理のない社会復帰のステップに役立つ情報を発信しています。

「ニート就職NAVI」の参照情報